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アラサーOLのリアルな日常

生涯女だったおばあちゃんに学ぶ、男性との関わり方【後編】

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こんばんは、ジャスミンです。

 

前回の記事「生涯女だったおばあちゃんに学ぶ、男性との関わり方【前編】」の続きを書いていきます。

 

序盤はおばあちゃんの生活に沿った内容になっていますが、のちに結婚生活が終わったあと、おばあちゃんはフィーバーします。

 

そして女を謳歌します。

 

それでは、どうぞ!

 

 

♡目次♡

 

おばあちゃんの結婚生活

 

おばあちゃんは19歳で結婚して他県に嫁ぎました。

当時の交通機関で5時間ほどかかる離れた場所へ。

誰も知り合いがいない地へ。

 

おじいちゃんはおばあちゃんの7つ上でした。

おじいちゃん26歳、おばあちゃん19歳で結婚。

お見合いで、親が決めたものです。

 

おじいちゃんの家は大家族。

おじいちゃんの両親と、おばあちゃんと同い年の小姑(おじいちゃんの妹)、おじいちゃんの弟が3人いました。(みんな10代、しかも一番下の弟は11歳だった)

一家の仕事は行商で、おじいちゃんが長男で唯一の稼ぎ手でした。

毎日朝4時に市場へ行って商品を仕入れて、その日のうちに売り歩くという仕事です。

主に生鮮食品を扱い、店舗も持っていたので、昼間はおばあちゃんが店番をしていました。

 

おじいちゃんが家族全員を養う・・当然ながら貧乏、

おじいちゃんの両親は働く気が無く、毎日家でゴロゴロしていて、週末になると2人で映画を観に出かけてしまうような生活をしていたそうです。そしてケチ。

同い年の小姑は性格も顔も悪く、家事もできず、ひたすら花嫁教室に通っていたそうです。

つまり・・・おばあちゃんは、この家の家事全般(料理、洗濯、掃除、雑用)を1人で担うことになりました。

むしろそのために嫁をもらったようなものです。

 

いきなりハードモードすぎませんか??

 

ジャスミンだったらお見合いの時点でソッコー断ります。

無理です。逃げます。

 

おばあちゃんの結婚生活始めの10年はとっても辛く苦しいものだったと、

何度も・・もしかしたら100回近く聞かされたかもしれません。

 

どんな生活だったかというと、

・結婚祝いにもらった上等な反物(着物の生地)を姑と小姑に強奪される

・おばあちゃんは食事なし

・おばあちゃんは許可なしに外出が許されない

・お金は持たせてもらえない(タダ働き)

・家族の行事に参加させない(おばあちゃんだけ留守番)

・寝る場所は台所

・深夜になると姑が寝床を覗きに来る

・姑と小姑からの壮絶なイジメ

・週に一度舅のまつげと鼻毛を抜いてあげる作業(意味不明)

 

いやこれ、3日も持たねえわ。

 

でも、おばあちゃんは必死でその環境に順応しようと努力をしました。

持ち前の愛嬌と明るさで。

幸いにも、おじいちゃんはまともだったようで、「苦労させてごめんな」と言って毎晩こっそり売り物の桃の缶詰をくれて、見つからないようこっそり食べたのだそうです。

いや、おじいちゃんもっと何とかしろよ、って思いましたが、当時は両親の言うことが絶対の時代・・親に逆らうことは許されなかったそう。

そしておじいちゃんは早朝から深夜まで働いているのでほとんど家にいませんでした。

おばあちゃんも、早朝から深夜まで本物の専業主婦をしていました。

 

真冬の氷点下の夜に洗濯板を使って家族7人分の洗濯を死にそうになりながらやった日も多々あったそうです。

ある時は、お店の男性客が細身で巨乳、愛嬌良しのおばあちゃんのことを独身花嫁修業中の小姑だと思い込み交際を申し込んだことがあり、大騒ぎになりました。

気を悪くした小姑からかなりの嫌がらせを受けたといいます。(小姑は当時の年代では巨女165cmで大柄&ブス、嫁の貰い手がなく本当に焦っていた。)

 

でも、希望が生まれました。

結婚して2年後、おじいちゃんとおばあちゃんの間には娘が2人生まれたのです。

家族全員が、その孫を可愛がりました。

 

しかし嫁いびりとハードな毎日は変わらず、

おばあちゃんはこのあとに本当にうんざりしたことが重なり3回家出をしました。

もうだめだ、と思って里帰りしたものの、

おばあちゃんの両親は離婚を絶対に許しませんでした。

なぜなら、おばあちゃんに子供2人を連れて帰って来られても、農家で貧乏だから養えないのです。

当時はバツイチ女性は風当たりも半端なく、離婚は世間的にも許されないものだったらしく、すぐにおじいちゃんの元へ帰されてしまいました。

 

しかし結婚して10年が経ったころ、小姑がようやく嫁いで居なくなりました。

それから、おばあちゃんは少しずつ楽な生活になり、改革を始めました。

 

おばあちゃんの改革と生活の安定

 

おばあちゃんはおじいちゃんのことは、優しかったので好きだったそう。

おじいちゃんは身長が173cmあり、当時の男性の中ではかなりの高身長だったらしいのでそこも好きだったとよく聞きました。笑

おばあちゃんは実は結婚してから少しずつ、おじいちゃんを味方につけるように考えて行動していました。

 

具体的には、おじいちゃんの仕事をサポートする、コミュニケーションをたくさん取る、小さなお願い事を叶えてもらう、自分にできないことはやってもらう、などなど。

少しずつおじいちゃんを頼っていったのですね。

あと、おばあちゃんは褒め力がすごくて、よく男性を立てて褒めていました。

男性は褒められたり頼られると嬉しいものです。おばあちゃんは少しずつ、おじいちゃんの気持ちが自分に向いていくように仕向けたのです。

でも自分の役割(店番、家事)はきっちり果たしていました。

 

おばあちゃんの回顧

「男の人はね、立ててあげて応援していればいいのよ。豚もおだてれば木に登る。あと、見たくないもの(失敗や暴言、浮気)は、片目をつぶること。忘れちゃう。

欲しいものは可愛くお願いするといいわよ。男の人は、簡単よ。

 

豚もおだてれば木に登るというのは比喩で、どんな男性でもきちんと男性として扱えばいいものが返ってくるというおばあちゃんの持論でした。

おばあちゃんはおじいちゃんの弟たちに「姉さん、姉さん」と言われて慕われていました。親戚のおじさんたちにも一目置かれる存在でした。

少しずつ、周りの男性も味方につけていったのですね。

 

そしておじいちゃんには商才があり、行商とお店の売り上げはぐんぐん伸びて行きました。店舗も大きくなりました。

これはおばあちゃんの内助の功も大いに貢献したと思います。

結婚して10年が過ぎ娘たちが中学生になる頃には、家は裕福になっていました。

おじいちゃんは当時日本に数台しかなかった日産スカイラインのケンメリモデルに乗っていました。

娘たちを私立大学へ行かせて、週末は夫婦で他県までドライブ、宝石を買ったりハワイに旅行に行ったりできるように。

 

驚いたエピソードのうち一つは、娘の振袖(100万)を現金一括でポンと買った話。

財布に100万入ってるのがすごいな・・というのと、おじいちゃんがそれに何も言わなかったことに驚きました。

それだけ、おばあちゃんに苦労をかけたという思いと幸せでいて欲しいと思っていたのかもしれません。

 

その頃には、舅と姑は体が弱って来ており、おばあちゃんは少しずつ家の実権を握り始めます。

相変わらず日常は忙しい中、日々に楽しみを見つけ、お金も自由に使いながら、舅と姑の介助まできっちり行う。本物の良妻賢母です。

 

おばあちゃんの回顧

「最初の10年は本当に大変だったわ。でも少しずつ、本当に少しずつ思うように生活できるようになって、嬉しかったわ。」

 

なんという重みのある言葉・・

ジャスミンだったら3日も経たずに逃げ出してしまいます。

 

おじいちゃんが亡くなる

 

しかし幸せもつかの間、おじいちゃんがすい臓がんで急死してしまいました。

おじいちゃん61歳、おばあちゃん54歳。

 

おじいちゃんは死に際におばあちゃんに言いました、

「生まれ変わってもまた一緒になろうな」

 

おばあちゃん「働かない親とたくさんの兄弟がいなかったらいいわよ」

 

超現実的。

でも、おじいちゃんにそこまで言わせるおばあちゃん、すごいな〜と感心しました。

だって恋愛結婚じゃないんですよ!?他人の状態から出会ってお見合い結婚してからの、「生まれ変わっても一緒になろうな」って…!

なかなか簡単に言わせられることじゃない。

 

かくして54歳で未亡人になってしまったおばあちゃん。

 

行商とお店は閉めることになり・・

おばあちゃんはしばらく泣いて落ち込んで、新興宗教にハマりそうになったりしましたが持ち直して、

55歳で車の免許を取ったり、社交ダンスを始めたり、カラオケを楽しんだりし始めました。人前に出るためにおしゃれや美容にもさらに気合が入ったそうです。

 

50代からのモテ期

 

その後たくさんの男性に囲まれる逆ハーレム状態になっていきました。

未亡人ってすごくモテるらしいのです。

男性の「女性を守ってあげたい欲」を刺激するらしいです。

 

周りは同年代の既婚者の50〜70代のおじさんたち。

でも、たいていのおじさんは妻と冷え切った仲になっていました。

家ではエプロン姿の肥えた妻に口うるさく注意されたり、疎まれたりしている中で

50を過ぎてもおしゃれや美容に気を使い、明るく愛嬌のあるうちのおばあちゃんはとても魅力的に見えたのでしょう。

既婚なんておかまいなしに、デートの申し込みが日常茶飯事に。

道を歩けば必ず近所の男性に声をかけられていました。

 

おばあちゃんには何人かお気に入りの彼氏がいました。

ケチだけどいろいろなことを知っていて楽しませてくれる彼氏、

いつも気にかけてくれてドライブに連れて行ってくれる彼氏、

素敵なレストランや旅行に連れて行ってくれる彼氏・・

教習所の教官とデートしていたこともありました。(そんなことってある!?笑)

家にラブレターが届いていたことも。

おばあちゃんは優しくて気配りもできる人だったのでとにかくモテまくりでした。

 

 

そして何より、おばあちゃん自身が恋愛をとても楽しんでいました。だからモテた。

 

ちなみにジャスミンは小学生のときに、おばあちゃんと彼氏がデートしてるのを見たことが多々あり、XXしてるところを見たことも…////

すごくオープンに恋愛や交際をしていましたね。笑

 

 

まとめると、おばあちゃんが男性と関わるときに大事にしていたことは以下3つ。

 

 

①身なりを女性らしくすること

年齢関係なく、おしゃれや美容に気を使うこと。一張羅(いっちょうら、とびきりの勝負服)を持ちなさいとよく言っていました。

たくさんの服や宝石を持つよりも、素材や生地、仕立ても良く、自分に似合うものを厳選して持ちなさいと。

また、化粧品カウンターには定期的に足を運び、じっくり自分に似合う色を選び、トレンドコスメは頻繁にチェックしていました。70歳を超えても、です。

まずは美意識を上げて、男性の目に留まる容姿でいることですね。

 

②男性を立てること

男性を男性として扱うことが大事とよく言っていました。

女は出しゃばらない。綺麗で笑っているだけでいいと。

頼ったり褒めたり、をバランスよくタイミングよくやる。

いつもやるとあなたにゾッコンというのがバレちゃうし、媚びているようでいけないから、よく観察しながらベストタイミングで行うのだそうです。む、難しい…

 

③自分自身が恋愛を楽しむ

相手の男性との1日を自分自身が思いっきり楽しむこと!が良い恋愛の秘訣と言っていました。

笑っていること。自分が我慢したり辛い思いをする恋愛は捨てる。

なんか嫌だわ、と思ったらおばあちゃんは潔く捨てていました。笑

もし突然デートをドタキャンされたら、埋め合わせに豪華なランチに連れて行ってもらう、など必ずプラスに持っていくようにしていました。

彼は忙しいから仕方ない…とか相手に都合のよい解釈はせず、時には自分のワガママを盛り込み、その時は可愛くお願いする♡のが鉄則!だそう。笑

 

おばあちゃんの晩年のことば

 

おばあちゃんは70代を超えた晩年、糖尿病で週3回透析に行っていました。

会うたびに言っていたのは、

 

「こんな体になって、つまらんわ。美味しいもの食べて、楽しいことして、彼氏作ったり、友達と旅行行ったりしたいわ。あとお父さん(おじいちゃん)にも会いたい。なんか楽しいことないかなぁ」

 

そんな中でも、病院の透析室では人気者で、若い男性看護師とおしゃべりするのが好きと言っていました。笑

 

ジャスミンから見たら、おばあちゃんは人生の後半戦はかなり自由に楽しく謳歌しているように思えました。でも、まだまだ足りない、と75歳を過ぎても言っていました。

 

そしてある秋に天に召されました。

 

でもおばあちゃんは天国でおじいちゃんに再会したあと、きっとたくさんの男性に囲まれながら、美味しいもの食べて、楽しく過ごしていると思います。笑

 

ジャスミンは、おばあちゃんみたいに人生を楽しみたいと思っています。

 

 

ジャスミン

 

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